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これまでのサンワカンパニー これからのサンワカンパニー<前編・その1>

こんにちは、広報の矢頭です。

2017年10月13日(金)にサンワカンパニーは「組織変更及び社内人事のおしらせ」をリリースいたしました。今回の発表内容は、外部顧問の就任、社内人事と組織と変更、荒砂、原野2名の取締役の退任の決定です。

これらの発表した組織変更に伴い、複数回にわたって「これまでのサンワカンパニー これからのサンワカンパニー」と題し、対談インタビューを掲載します。まず<前編>では退任する荒砂、原野2名の取締役の話をサンワカンパニー代表の山根が聞き手となって対談し、また<後編>では新しく就任される顧問の方などこれからのサンワカンパニーを牽引していくメンバーでの対談インタビュー行います。
山根:まず、いま私は社長としてではなくサンワカンパニー創業者である山根幸治の息子としてここに座っています。ですが、今回の決定は代表取締役社長として苦渋の決断をしました。取締役同士として厳しい言葉をかけたこともありました。「取締役ではなく、一度部長に戻っていただけませんか。」というお話をさせていただいた後、おふたりは揃って身を引かれるという判断をされ、まだまだ支えていただきたかったのですが、荒砂さんからは【新陳代謝】という言葉もおっしゃっていただきました。私は就任してまだ4年目で、私自身もおふたりやサンワカンパニーがどういった道を歩んできたかにとても興味がありますので、サンワカンパニーのこれまでや、サンワカンパニーらしさというものをこの場でお話できればと思います。

今回は社外の方が見られるブログということで、私からサンワカンパニーについて改めて説明します。サンワカンパニーは1979年に、私の父である山根幸治が輸入建材の卸会社として創業しました。そして今では2000年から始めたインターネット販売がメインになり、インターネットで住宅設備や建築資材を販売しています。創業38年ではありますが、実は急成長しているのはネット販売を開始したここ10数年のことです。
2000年以降のサンワカンパニー売上推移


山根:荒砂さん、原野さんはサンワカンパニーがまだ数人規模の時に入社されたんですよね。

荒砂:はい。私は1995年にサンワカンパニーに入社したのですが、ちょうど転職活動をしていたとき、転職雑誌で知りました。その雑誌には「輸入建材を扱う当社で日本の建築を変えよう!」と書かれていて、それをみて興味を持ち応募しました。

原野:私も荒砂さんと同時期の入社で、本当に同期といった感じです。

山根太郎(やまね・たろう)サンワカンパニー 代表取締役社長。2014年に社長就任。
荒砂康行(あらすな・やすゆき)サンワカンパニー 取締役オペレーション部長。1995年入社。オペレーション部ではお客様からのお見積や各所お問い合わせ対応や、施工、WEBサイトやカタログや商品管理といった部署を取りまとめている。
原野 繁之(はらの・しげゆき)サンワカンパニー 取締役商品部長。1995年入社。商品企画、開発、輸入、調達などサンワカンパニーの販売商品にかかわる部門を管掌している。

荒砂:面接も先代が会社の紹介をしていて、「この人と一緒に働けば面白いことができる」と思って入社しました。当時は社名も今とは違い漢字の「三輪」という社名でした。入社当時は7名程度の小さな会社で、輸入と経理以外の業務は何でも一人でやるという状態でした。小さい会社ながら当時から私たちはオリジナル商品にこだわっていて、その点を差別化して営業活動していました。当時お客様は不動産デベロッパー、ゼネコン、工務店が中心でしたが、オリジナル商品を武器に売り込んでいく楽しさや厳しさを体当たりで学んでいたような形です。

山根:2000年のインターネット販売が始まってからは何か変わりましたか?

原野:インターネット販売が始まってもしばらくは同じですね。本当に1から10までそれぞれ1人でなんでもやってきました。商品企画といったものづくりから、提案、商品販売後のクレーム対応まですべてです。ですが経験できてよかったと思っていて、この経験があったからこそ、小さな会社が家ひとつを丸ごとカバーできるくらいの商品カテゴリで、約6,000点という商品点数を取り扱えるようになったのだと思います。今では従業員も100名を超え、会社自体の規模が大きくなったので、それぞれの役割分担が出来ています。

山根:なんでも一人でやっていた時代もふくめて、これまでの仕事の中で一番印象に残っているものはなんでしょうか。原野さんから聞かせてください。

原野:私はプロジェクトチーム(※1)を起ち上げたときですね。まだ東京ショールームがお台場にあったころなので10年前くらいでしょうか。それこそオリジナルの商品開発もやっていた時期でしたからやることも多くて
※プロジェクトチーム:サンワカンパニーのショールームがある拠点に所属する、大口法人の対応をするチームのこと。(https://www.miratap.co.jp/shop/app/support/pro/

山根:東京、大阪、名古屋3つの拠点でチームを起ち上げなければいけなかったんですね。荒砂さんはどうですか?

荒砂:私はまだインターネット販売をする前、提案営業をやっていた時に5億円規模のプロジェクトに参画したことですね。とても大規模で2年間と長期間のプロジェクトで、引き渡しの半年前から昼夜・土日問わず現場に足を運び働いていました。無事に引き渡しできた後の達成感はひとしおでしたし、社内外多くの方にご協力いただけた事への感謝の気持ちもあります。
もうひとつは私が商品開発をやっていたとき、当時なかった可動式の止水栓を開発し、それが商品のボウルや現場にピッタリはまって売れていくまでの一連の流れを体験できたことも印象深いです。

山根:荒砂さんが商品開発までされていたことに驚きました。これまでのサンワカンパニーの歴史の中で一番しんどかったな、ということを教えてもらえますか?

荒砂:先ほどお話した5億円のプロジェクトが終わった直後、ちょうどゼネコン不況の時期で仕事がストップしてしまった時期が経営的にも厳しかったのではないでしょうか。資金繰りも悪化して輸入建材も仕入れることが困難になりかけて、なんとか従業員で力を出し合って乗り越えました。そしてもうひとつはインターネット販売が軌道に乗り出したタイミングですね。売れてはきたけれど利益が出ないという時期が続いていました。

原野:私も同様に、インターネット販売にスイッチするタイミングはきつかったと思っています。

山根:私も父から2003年頃が一番きつい時期だと聞きました。財政面でもそうですが業界からの反発も多かったそうです。
 

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※続きは10月17日公開予定です。
※このインタビュー内容は2017年10月13日現在のものです。

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